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2005.07.09

哀悼 串田孫一

串田孫一、旅立つ。今朝の新聞で知った。

高校時代に山登りをはじめたことがきっかけで出会った「もの書き」は数知れず。
植村直己、新田次郎、小島烏水、深田久弥、田中澄江・・・。
そうしたなかで、とりわけ串田孫一は、しっとりと苔むした奥秩父の森を思わせる独特の文体で異彩を放っていた。
ヒマラヤやヨーロッパアルプスを攻めた多くのクライマーたちも、なぜか、ふるさとの山であるこの国の緑濃い絨毯の只中に一刻も早く帰りたいと思うという。
そのページを繰ると、「極める」とか「攻める」とか「達する」といったアルピニズムの世界とは無縁な形で「串田孫一の山々」がそこに連なって在った。
その後、仕事の上でもずいぶんとお世話になることの多かった「文体」であったが、「時代が文体を創る」とはよくいったもので、まさしく日本のアルピニズム発展の陰で、ちょうどその流れとはまったく逆の素朴な山なみを形成していった一人の「山を旅する哲学者」だったと思う。

そのお人柄がうかがわれる文章から、二編ほど紹介しておわかれしたい。


◆ 或る山へ登りたくなり、その麓の川原に天幕を張って根拠地にした。余り詳しくも調べずにともかく登り出した。九月だったが雪渓も残っていて、次第に嬉しくなったが、このよろこびが危険を招いた。
 予定の尾根を辿るのを変更し、谷の正面に見える大きな滝の脇の岩を登ろうという気持になった。繁吹をかぶりながら岩を攀じたが、登路を見附けることは出来ず、日が暮れて夜半過ぎに天幕に戻った。
 この失敗談を山名を出して或る雑誌に書いたところ、それを読んだ若者が単独で滝の脇を登り、墜落して命を失ってしまった。この死のことを、その姉という方から手紙で知らされた。私はどういう処置をとったらいいか判らず、ともかくそれを知らせて下さった姉上に手紙で返事を書いたが、こんなに辛い手紙を書いたことは他にない。
 私はそれ以来、自分の山行についてどういう書き方をしたらいいものか、判らなくなってしまった。

◆ 私は、今から三十数年前に、初冬の、既に雪の積もっている山の谷間に、その場所から眺められる山を描きたいという老画家と一緒に、出掛けたことがあった。広い谷間は一面の積雪で、画家が描こうとしている山の姿の最も優れて見える場所を定めるのに時間がかかった。私は画家の傍らにいても邪魔になるかと思い、ひと言断って近くの森の中を歩いて想い浮かんだことを手帳に書き留めていた。
 そのうち寒風が吹き出し、画家はキャンバスと絵具函を擔ぐばかりに片付けると、帽子を脱ぎ、山に向って、深々と心の籠った挨拶をした。私はこっそり、泪を拭った。


  ご冥福をこころよりお祈り申し上げます。 合掌。

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コメント

 信州上田の、何処までも続くリンゴ畑を やっと抜けて、浅間山や千曲川の流れが遥か遠くに見渡せる 小高い「山王山」の頂上にある、戦没画学生慰霊美術館「無言館」を、私は度々訪ねています。
絵筆を銃に持ち替えて、戦地で消えざるをえなかった、若き画学生達の 叫びを聴きたいから。 否 聴かねばならない思いから・・・。
心臓の辺りが コチッと固くなるような胸の震えを、今また moaiさんのこの文面からも感じています。

既に 雪を冠った初冬の山・・・その姿が最も惹きたつビューポイントから、全霊を絵筆にこめた 老画家の描いた山とは、どんな姿になったのだろうか。 観てみたい!!
山に向かって脱帽し、深々と礼をした老画家の姿に、森の木々の合間から認めて・・・泪をそっと拭った串田孫一は、やはり 山を旅する哲学者、そして山の詩人ですね。
これぞ 日本男児の魂に触れた思いがします。そして、哀悼文を寄せられたmoaiさんにも。
私も 日本人でよかった!!

投稿: 幸せコスモス | 2005.07.10 01:12

冬の寒い日の夕方、新聞連載の打ち合わせに自宅に伺うはずだった記者が、番地の枝番を見落としたために、なかなか家が見つからず暗くなった路地で困惑していた。すると、当時83歳の串田さんが白い息を吐きながら、自転車で迎えに来てくださったという。
串田さんはそのころ毎日1時間ずつ掃除をするのを習慣にしていたが、十分にふき清められた書斎は空気まで澄んでいるように感じられたという。

moaiさんの紹介してくださった二編を読んで、素朴なそして深い味わいのある文章に、心の灯がぽっとともる様な気がしました。
そして先述の記事を読み、それは心優しい串田さんの真摯でまっすぐな生き方からくるものだったのだと気づきました。

今朝の家の階段の拭き掃除。。。串田さんの穏やかなお顔が浮かんできて、思わず手に力が入りました。

投稿: りんごママ | 2005.07.11 13:45

幸せコスモス様
りんごママ様

無性に山へ行きたくなりました。

投稿: moai | 2005.07.12 00:19

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