「偽」
毎年恒例の「今年の漢字」が、清水寺の森清範貫主によって大書され披露された。
「偽」
今年一年の世相をふりかえれば、なるほどと頷くところだろうが、
そこはへそ曲がりのわたくしゆえ、少しばかり異なった見解を。
まずは、その文字の意味するところとは無関係にこの字のなんとバランスのいいことか。つまりは実に字形が美しいのである。
それにひきかえ、この字と反駁する「真」であったならと仮定してみる。
もともと左右均等にバランスがとれてしまっているこうした字は、意外と書くのは難儀なものである。よくよく注意してみても、かえってそのバランスを崩してしまいかねない。
このことは、世の中の物事を象徴している。
どこまでもうそいつわりのない純度の高い社会など、風呂の一番湯のごときもの。それではかえって身体によくない。入れ代わり立ち代わりして次第に不純物が混ざり出した湯加減がちょうど身体を芯から温める。
なにも、不正を働いた輩を弁護するつもりは毛頭ないが、
極に走って、徹底的に「偽」は許せぬ、排除せよ、かわりに「真」のみ認め、追求せよ、というのは、どこか偽善に満ち満ちてへそ曲がりには不健康に思えてくる。
ゆえに、
わたしの感想。
この世のことすべて絶対はなし。
しかるに「真」一色でもなければ「偽」一色でもなし。
あえて言うなら、
「〈真偽〉のほどはわからない」といったところか。
人間ある程度歳を重ねたならば、そうした用心いうか、気構えというか、覚悟というか、そうした不純さをも前提にした度量をもって「物」、「事」にあたるべきではないか。
嗚呼、したがって今年ほど、一字でそれを言い切ることのなんと難しいことよ。
逆説的にいえば、今年は、数々の「偽」のおかげをもって「真」の有難みや貴さを知ることが他の年以上にできた。
陳謝に感謝、「偽」」に感謝。
かえすがえすも、「偽」の字は少々乱暴に筆を運んでも格好いい。
それにひきかえ、「真」の字は丁寧に一心不乱でも出来はどこかみっともない。
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コメント
moaiさん
おっしゃることなるほどでした。。。
少しコメントしたくなったのでトラバさせていただきました。
投稿: iyashi | 2007.12.14 11:22
>iyashi様
ある新聞には
「何を信じたらいいのか、わからなくなった一年でした」と見出しがついていました。
こうしたどこか他人に「寄りかかった」もの言いがどうも好きになれませんもので・・・。(笑)
投稿: moai | 2007.12.14 22:13
私も日々正しく生きてません。ごまかし、あやかしはいつもの事。自分がそうなんだから、「偽」に該当する企業さんは、やり過ぎたねという程度の感じにも思えたりします。これは危険な感覚で、40km制限の道路を60km弱で走るようなものかもしれません。
「偽」として捕まった方を反面教師にしないといけませんね。
投稿: くーたろう | 2007.12.15 02:28
不純物で固められたような私が言うのも何なんですが。。(笑)
ようはバランスですよね。
世の中に絶対のものはない。
それは事実だとしても
誠実に生きてきた人が「偽」に
翻弄されるのも なにか違う気がしてならない。
もっとも「偽」を見極める「眼」や
度量をもった「覚悟」は必要。
でもとてつもなく大きい「偽」のために
いい塩梅に不純物が混ざり合った
世の中をスムーズに運ぶための小さな「偽」が押しつぶされてしまう。
「真」と「偽」のバランス。
人々の価値観もひとそれぞれ。。
だから面白いし、難しい。
ただ理不尽に思えることでも痛い思いをしてはじめて
そのバランス感覚を養えるような気がしてならない。
投稿: りんごママ | 2007.12.15 14:44
震・食・倒・毒・末・金・戦・帰・虎・災・愛・命・偽
全国から応募の最多を「今年の漢字」として選び、清水寺貫主揮毫により発表されるようになった歴代の一字です。
中では金・帰・愛の年は、好き世相の一端がうかがえますが、あとは悪しき世相の産物ですね。
私は、ことしは「落」かと・・堕落、零落・・。
でも今の時期
落ち葉吹雪、落ち葉のじゅうたん、落ち葉焚き、落ち葉プールで子供たちが歓声を上げている冬の風物詩を思うと・・・あぁ「落」でなくてよかった!!
しかし、世相反映の一つの指標ではありますね。
皆さんの鋭い「眼」を「力」に換えたいものです。
投稿: 幸せコスモス | 2007.12.16 00:18
>くーたろう様
「自分」もその会社の一社員であったなら、意識するしないにかかわらず、加担してしまっていただろうな、という気持ちをだれもが持つことが大切なんでしょうね。
投稿: moai | 2007.12.17 00:26
>りんごママ様
>誠実に生きてきた人が「偽」に
>翻弄されるのも なにか違う気がしてならない。
「誠実」であろうとするがあまり、「偽」にしらずしらず染まってしまうこともあるのが、この世のからくり、怖さなのだという「自覚」がとても大切だとわたしは痛感しています。
「社会」に対して「誠実」であろうとすること。
「会社」に対して「誠実」であろうとすること。
この両者は必ずしも一致しません。
卑近な例で言えば、
「仕事」に対して「誠実」であろうとすること。
「家庭(家族)」に対して「誠実」であろうとすること。
これもまた然り。
こうした意味からも、叩けばほこりの出る人間であることを自覚して世の中をとらえていきたいと思っています。
投稿: moai | 2007.12.17 00:45
>幸せコスモス様
しかしながら、皮肉なことに日本の、いや世界中の歴史が証明するように、こうした世相の時代ほど、「鋭い観察眼」による「鋭い批評魂」が次々に芽生え、真贋が生み出されてくるのですね。
かの兼好法師も、鴨長明も、平安の御世、あるいは元禄文化花盛りの江戸には生まれ育つことのなかったであろう「哲学者」でした。
投稿: moai | 2007.12.17 00:53
>この世のことすべて絶対はなし。~~~「真」一色でもなければ「偽」一色でもなし。
この世で善行を積み、範たる生き方を全うしたとしても・・・
今日の新聞紙上での『秀逸』川柳にこんなのがあった
蓮の上 座る極楽 退屈そ
あの世とやらでも、地獄極楽をあちこち行き来する方が運動になって楽しく新鮮かもね(笑)。
投稿: 沼津アルプス | 2007.12.18 15:33
>沼津アルプス様
苦あれば楽あり。
地獄あれば極楽あり。
政治屋あれば政治家あり。
罪人あれば同心あり。
猫あれば犬あり。
女あれば男あり。
歩くものあれば走るものあり。
ゆく年あれば来る年あり。
急ぐものあれば緩りといくものあり。
早世のものあれば長寿のものあり。
にもかかわらず、意味のない記事が今日も新聞に…。
「都道府県別の平均寿命」
これって、「今年のボーナスの平均額」を伝える記事に匹敵する。
ともに、だから何?
投稿: moai | 2007.12.18 21:59