2011.04.01

「どんな小さなものでも・・・」

一〇〇歳を越えてなお現役の詩人、
まどみちおさんのお言葉から・・・ 
      (『詩人まど・みちお 100歳の言葉』 新潮社 2010年12月発刊 より)
 
  どんな小さなものでも
  みつめていると、
  宇宙につながっている。

 
ここ最近、どうかすると
大きなものや満ちたものより
これからの、小さな存在に
なぜか心惹かれる自分がいます。
 
  私は私という人間ですけど、
  こういう人間になってここにいようと思って
  ここにいるわけではないんです。
  私だけでなくてあらゆる生き物がそうなんです。
  気がついたら、そういう生き物としてそこにいる。
  ということは、やっぱり
  生かされてるっちゅうことじゃないでしょうか。
  人間を超えた、ある大きな力ーーー、
  「宇宙の意思」のようなものを感じずにはおれない。
  それは「自然の法則」といってもいいかもしれません。

 
とかく嫌われものの「ドクダミ」を、こよなく愛する
まどさんらしいお言葉です。
感心しながら庭先に目を落としてみると、
いつのまにか名もない草があたかも津波のように
地面を覆っていました。
 
  生まれたところだけがふるさとではなく、
  死んでいくところもふるさと。
  宇宙をふるさとにすれば、
  一緒のところになります。

 
跡形もなく瓦礫と泥流の下に
埋もれてしまったその土地を
それでも、はなれまいとする方々の
その気持ちが
わかったような気がいたします。
 
******************************
 
ひさしぶりに
地元の「野川」周辺を
しばしの間ゆるゆると・・・
 

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               ホトケノザ
 

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              ネモフィラ
 

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              ユキヤナギ
 

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              サクラ
 

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             コサギ
 

Imgp6587
               カワセミ

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2010.04.07

『インパラの朝』 中村安希

Photo
 
「ユーラシア・アフリカ大陸 684日」

とのサブタイトルあり。
 
実に読み応えのあるドキュメンタリー。
巷に氾濫する「紀行」ものとは一味ちがい、とても詩情にあふれているかと思えば、臨場感たっぷりに現場へ読者を引き込みもします。
それは、ひとえに筆者のバイタリティと人間そのものの魅力からくるものに違いないでしょう。
 
加えて、なにより、私がこの本を手にした最大の理由は、
その行く先が、とかく胡散臭さの充満する「東」側ではなく、
さまざまな人の生活臭とその他の生きものの野生臭とが絡み合った
「西」側であったことにほかなりません。
 
 
果たして、
今のわたしにとっての明日は、どんな「朝」で幕をあけるのでしょうか。

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2009.12.28

音楽座『泣かないで』@東京芸術劇場

今宵、旗揚げ当時から縁のある『音楽座』の舞台へ。
このたびは、遠藤周作原作の『わたしが・棄てた・女』に基づいたミュージカル、
 
『泣かないで』
 
 
ところで、・・・
森田ミツのような、ここまで純粋にして献身的な人間という「生き物」が、この地上に存在するものであろうか、という疑問はしかし、同時に自身の醜さや汚らわしさに知らず目を向けさせるものであるらしい。
 
原作者遠藤がその代表作とされる、キリストの、いや誰の心にも宿る「神(さま)」の『沈黙』をその後に執筆することになったという作品の系譜は十二分に理解できる。
 
ハンセン病患者の子供が一人、必死の看病むなしく息を引き取った際に、ミツの「神はなぜ罪のない子を取り去るのか」という叫びは、『沈黙』にあって、転ばぬ信徒が次々に天に召される中にあって「神はなぜ黙されるのか」との嘆きに通じている。
 
ならばおそらく、
遠藤は、ミツの向こうに神の御影を見出したのではなく
神の向こうにミツの存在を認めて崇めたのに相違ない。
ミツのような存在こそが「キリスト」なのだと・・・。
 
音楽座がこの作品を初演したころ、
生前の遠藤が「自分の作品で泣いたのは初めてだ」と語ったという。
 
このエピソードは、少なくとも音楽座そのものの舞台魂を語って余りあるものである。

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2009.07.06

今日は、『サラダ記念日』でした!

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 「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日
 
 

 『サラダ記念日』  俵万智 (河出書房新社 1987年刊)
 
それにしても、すでに20年以上の歳月が流れてしまっていたとは!
当時、24歳だった作者がその「あとがき」をこんな風に綴っています。
 
・・・なんてことない二十四歳。なんてことない俵万智。
なんてことない毎日のなかから、一首でもいい歌をつくっていきたい。
それはすなわち、一生懸命生きていきたいということだ。
生きることがうたうことだから。うたうことが生きることだから。
 
・ 砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている
・ 沈黙ののちの言葉を選びおる君のためらいを楽しんでおり
 
…恋する乙女が、恋すること以上に冷めた目をもって三十一文字を楽しんでおるようでこわかったな!
 
・ ごめんねと友に言うごと向きおれば湯のみの中を父は見ており
・ 電話から少し離れてお茶を飲む聞いてないよというように飲む 
…今は、すっかり「携帯」に、「メール」の時代となりました。その「携帯メール」、まさか「見てないよというように見る」わけにもいきません。(笑)
 
・ 待つことの始まり示す色をして今日も直立不動のポスト
・ 書き終えて切手を貼ればたちまちに返事を待って時流れ出す
 
…当時の女性は勿論、男性もまた実に我慢強かった。待って待って・・・待ちぼうけ・・・なんてことも。(笑) それに比べ、今は「メール」でいつも「ファストフード」なおつきあい、ですね!
 
・ トロウという字を尋ねれば「セイトのト、クロウのロウ」とわけなく言えり 
…そういえば、作者は県立高校の先生でもありました。
 
・ 思い出はミックスベジタブルのよう、けれど解凍してはいけない 
…冷凍食品がスーパーなどに多く出回り始めたころのこと。
 
・ 物語始まっている途中下車前途無効の切符を持って
…今は、こんなロマンとシビアな空気の交錯する「切符」にかわり、いつでもどこでも途中下車できる「カード」へ。(笑)
 
・ 忘れたいことばっかりの春だからひねもすサザンオールスターズ
・ 玉ネギをいためて待とう君からの電話ほどよく甘み出るまで
・ 母からの長距離電話青じそとトマトの育ち具合を話す

…これらの歌にはもうじき「注」が必要となるでしょう。(笑) 「サザン」とは・・・ 「(長距離)電話」とは・・・とね。
 
 
ということで、
そろそろ、「第二の俵万智」の出現が待たれます。

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2009.06.20

『劔岳 点の記』 (映画)

封切りの日の今日、さっそく
『劔岳』を観る、ただそれだけのために必死で自転車を走らせました。(笑)
 
映画は、幾度となく次のことばを提示しました。
  
「人は、何をしたかではなく、
何のためにそれをしたかである」
と。
 
ただ地図を作るというそれだけのために
劔岳に登った男たち。
その男たちを描くためだけに
映画を創った人たちがそこにいました。
 
さて、わたしはいったい
何のために山に向かい
何のために走り、立ち止まり、そして歩き、
はたして何のために生きているのでしょう。
 
ふだんは知らず遠ざけてきた「そのこと」を改めて考えるきっかけを与えてくださった   木村大作監督と制作に携わったすべての方々、そして、今は亡き原作者
新田次郎にぜひとも敬意を表したいと思います。

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2009.04.16

『どこへも行かない旅』 林 望

Dokoemoikanaitabi 以前読んだ、池内紀著『ひとつとなりの山』のお里版ともいえる一冊です。
 
観光地のようなにぎやかさや、
名所旧跡のようなみどころとは、
まったく無縁な、独自の旅行記といえましょう。
 
繊細かつ情趣に富んだ文体もさることながら、
ふんだんに織り込まれた写真がまたすばらしい。
 
おかげで、文字通り「どこへも行かな」くても、
あたかも行った気にさせてもらえました。
 
ぜひ、みなさんも「机上旅行」へお出かけください。

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2009.03.16

『落日燃ゆ』 城山三郎原作

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さきほど、ドラマ『落日燃ゆ』を観終わりました。
「背広の似合う唯一のA級戦犯」(吉田茂 評)であり、
「文官として唯一のA級戦犯」である
あの廣田弘毅の半生を描いた作品です。
 
一転して、春うららかな今日のよき日。
先日の嵐に倒れた桜には、より一層、野鳥たちが集まっては身を捩るようにして蜜を啄んでいました。
彼らは、よもやその桜がすでに根無し木となっていようことなど知るよしもないことでありましょう。
 
そう思うとき、少なくとも「彼ら」は同時に今の「我ら」に思えてなりません。
この世の春も繁栄も、こうした尊い犠牲の上にあって謳歌されるものであることをも、あらためてまた。
 
加えて、そうした軍国の世にあっても
人の中の人でありつづけた一人の文官を、
いかなる歴史観をも超えて、
文学の力を以て風化させまいとした
城山三郎という一人の文人にもまた
あらためて敬意を表したいと思います。

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2009.03.05

『卒業』重松清 【文庫版】

Sotugyo_bunko
 
 
 
 
 
 
 
 
 
書店で、何の躊躇もなく手にした文庫一冊。
さっそく中を繰り出し、読み始めると・・・。
短編集のその一が、『まゆみのマーチ』?
その他には、タイトルと同じ『卒業』?
さらには『あおげば尊し』???
 
これ、どこかで読んだことあるぞ!
 
Sotsugyo_tankobon  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それもそのはず、
数年前、「単行本」の時点で、
既にじっくり味わっていた作品ばかりでした。
 
嗚呼、ダブって購入してしまった!
思わず、苦笑い。
 
どうもここ最近、このタイトルの言葉に
非常に敏感になっているようです。(笑)

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2009.02.09

早くも売り切れ御免。 『クライマーズ・ハイ』(ココログ出版) 四冊目

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今年も「ココログ出版」さんのお力添えをいただき、
性懲りもなく、この『クライマーズ・ハイ』が本になりました。
年に一度のまとめとして、四冊目になります。
 
全235頁。
WEB上では、実感しがたい
一日一日の生活や思索の足跡が
重量をもって伝わってきます。
 
ここにお立ち寄りくださいました皆さま方、
本屋さんにて、この本をお求めにはなりませんよう。
もうすでに、売り切れてしまいましたので。(笑)

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2009.01.23

『ひとつとなりの山』 池内 紀 著

Hitotutonarinoyama  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ドイツ文学者として名高い筆者は、名エッセイストでもある。
深田久弥も草葉の陰で苦笑いされているであろう
「百名山」ブームにあって、
この池内さんは、
山の魅力をそれらの「ひとつとなり」に求めた。
 
 〈若いときはともかく、
  ある程度トシをとると、
  山とのかかわり方も、
  「ひとつとなり」がいい〉
 
 〈ピークハンターのように山頂ばかりめざさない。
  途中のどこかを自分の山頂にして、
  そこで切り上げてもいいのである〉
 

「単独行」といえば勇ましいが、
筆者の場合はあくまで「ひとり登山」。
気負わず、求めず、
あるがままの山の旅。
 
心穏やかに読みふけることのできる一冊でした。

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