2012.01.29

『麒麟の翼』

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さっそく観たあとに見てきました。(笑)

すべては、ここから・・・

 
勇気をいただきました。

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公式サイト → http://www.shinzanmono-movie.jp/index.html

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2012.01.21

『ALWAYS三丁目の夕日'64』

めっきり涙腺の弱くなった昭和のおじさんには、3Dメガネのお陰で人目をはばからずスクリーンに魅入ることができました。(笑)

昭和は遠くなりにけり。

 
 

※ 公式サイト → http://www.always3.jp/

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2011.12.23

『聯合艦隊司令長官  山本五十六』

さっそく、その謦咳に接してきました。 
「世界を・・・目で、耳で、そして心で、見ることです」
心にずしりと響いたひとことでした。

 
大切にしている名言とともに・・・
「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

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2011.05.09

『岳』

北アルプスの白馬三山や不帰ノ瞼を背景にした八方尾根。
国内第3位の標高を誇る奥穂高岳や槍ヶ岳へ続く日本のオートルート。
特撮のクレバスシーン以外のこうした風景は、登攀意欲をそそる映像の連続でした。
 
そもそも、感動や達成感といったものとリスクは背中合わせなもの。
だからといって、冒険と無謀との区別はきちんとつけなければなりません。
ゆえに、いかに周到な準備と計画を練ったか、さらに自らを鍛え律したか、そしてなにより登らせていただいているという謙虚さを持ち続けているかにかかっているように思います。
 
 
主人公の島崎三歩が問います。
 
 「山に捨てちゃ(落としてきては)いけないものは?」
 
 
 
そう、もちろん「ゴミ」と「・・・」ですね。
 
 
    → 公式サイトは、こちら
 
 

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          八方尾根から五竜・鹿島槍方面を望む図です
              (公式バナーをダウンロード)
             …おそらく3~4月の頃でしょう…
               春山合宿が懐かしいです

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2011.05.02

『八日目の蟬』 原作&映画

  
 
    
      
     女の性(さが)「母親」として極まれり
 
 
 
 
 
 
あらためて、女性の強さは母性のもつ包容力によって支えられていることを思い知る。
 
 ※ 成島出 監督 『八日目の蟬』 
 
 ※ 角田光代 原作 『八日目の蟬』 ↓

                   
 

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2010.12.23

『最後の忠臣蔵』

「最後の武士(もののふ)」の姿に感服しつつ、
「普通の人間」の姿を懸命に探し求めた作品でした。
 
 ※ 公式サイ ト→ こちら

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2010.12.16

『ノルウェーの森』&『KAGEROU』

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原作は村上春樹の同名の小説。
20年ほど前、一世を風靡した作品でした。
 
60年代から70年代にかけての「青春」群像。
直視するには生々し過ぎて・・・
かといって目を逸らすには懐かし過ぎて・・・
 
やっとのことで表に出てみたら
現在ただいまの新宿の森は青白き輝きを放っていました。
 
その後、紀伊国屋にて話題の「KAGEROU」を手にして、そのまま読了。
重すぎる現代社会に横たわるテーマを
キーボードを軽くタッチするかのような文体で流していました。
 
文芸の「今昔」を実感したひとときでした。

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2010.08.10

「アリエッティ」を探しに・・・@野川

わたくしにとってジブリの作品は、ひとえにそのスクリーンに次々と展開される背景画の魅力に惹かれます。
それらは、単なる背景として終わずに、命を宿した生き物としての存在感をもって描かれているからです。
 
その点において今回の「借りぐらしのアリエッティ」もまた、例外ではありませんでした。
しかも、外つ国に生まれた原作を、この国の原風景の中に溶け込ませようとしたスタッフの努力には素直に拍手をおくりたいと思います。
 
さて、その風景ですが・・・
どうやら地元のハケの道に沿って流れる「野川」が舞台であるらしい、とのまことしやかな噂。
はたして、オープニングからエンディングにいたる随所にそれは確かに認められました。
 
そこで、さっそく「アリエッティ」探しの旅「野川」を水源まで久しぶりに遡ることにしました。片道17kmほどのラントレも兼ねて。
 
 
 
※ただ今上映中につき、ネタバレとならないよう子細なコメントはひかえることにします。
 

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鬱蒼と夏草が水面に迫る「野川」です。
 

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カルガモやシラサギたちが道案内。
 

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川縁にはハグロトンボが沢山ひらひらと。
 

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「おーい!アリエッティ!!!」
 

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やっぱり、「アリエッティ」は、
こうした子ども達にしか見えないんだろうなあ。
 

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または、こうして釣り糸を垂れるおじいちゃんのところにも。
 
 

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その後、水源の「真姿の池」まで辿りましたが、
邪な心をもったおじさんランナーの前には
とうとう姿を現してはくれませんでした。(笑)

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2010.01.27

沖島勲監督ドキュメンタリー作品 『怒る西行 これで、いーのかしら(井の頭)』

昨晩、ひそかに話題なっている映画を観てきました。
 

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 『怒る西行  これで、いーのかしら(井の頭)』
 沖島勲監督 2009年制作 97分 
 ポレポレ東中野 21:00~ 2月5日まで

 
ランのホームグランドの一つでもある
「玉川上水」が舞台のドキュメンタリー。
 
徐々に工事が進みつつある「放射5号線」の敷設により、周縁の景観や人々の暮らしがどう変化し、またどんな風景がかつてそこに広がっていたのかを記録しています。
 
「『余計なもの』っていうのは、100年も持たんね。なぜならそれは所詮『余計なもの』なんだから・・・」
 
声高にこのたびの道路計画に対して批判の声をあげているわけではなく、むしろそんな一事をずっと超越したところで、本来われわれ人間がどのように暮らしを営むべきかについて示唆を与えています。
 
その撮影に使われた道のりは、「岩崎橋」から「井の頭公園」にかけての3km弱。
15分ほどで駆け抜けてしまえるところを、実に寄り道を含めて1時間40分じっくりと思索して歩きます。
 

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その翌朝、冬晴れの上水付近です。
皮肉にも、「放射5号」の開放的なモデル区間にあますところなく陽光が降り注ぎ、白々としてその照り返しがまぶしいほどでした。
 
自然保護と開発、実にむずかしい問題です。

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2009.11.05

『沈まぬ太陽』

奇しくも、今読み返していたのが『論語』にまつわる本でした。
 
 
 三軍も帥を奪うべきなり。
 匹夫も志を奪うべからざるなり。
            『論語』 子罕篇

 
 …いかなる大軍であってもその司令官を捕虜として捕まえることができる。がしかし、どんな人間であっても、その人間の「志」だけは奪い取ることはできない。
 
 
「不惑」の年齢をとうの昔に経過してきたはずなのに、惑うことのみ多い毎日にあって、それでもようやくこの「志」と「野望」との違いには敏感になってきたように思います。「自分のため」を前提にした「欲」が「野望」。それに対して、「みんな(他人)のため」を基盤とした「夢」こそが「志」なのです。
ちなみに、この「みんなのため」という意識こそ「仁」の説く危うい「愛」や「思いやり」といった理想の情を陰で支える「義」にほかなりません。
 
さて、この山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』では、この「志」と「野望」とが見事に交錯して描かれています。渡辺謙扮する恩地元は、会社の命ずる不条理に延べ十年を優に越える歳月を海外赴任と言う名の左遷に費やします。そしてやっとのことで帰国してみれば、未曾有の飛行機事故の後始末として遺族係を任されます。しかし、そうした不遇の身の上にあっても彼が決して失わずにあったのはひとえにこの「志」であり矜恃でした。
 
周囲が組織に埋もれ誘惑に流され歯車と化してゆく中にあっても、彼はその「志」をもって常に会社(この場合ともに現場で働く同志をさします)のために、さらに520数名もの犠牲者とその遺族のために誠実に生きようとします。
 
こうした恩地の姿は、やはりあの「事故」を扱った『クライマーズ・ハイ』における地方紙の一記者である悠木和雅のそれと重なるところがありました。
しかし、この『沈まぬ太陽』では同時にその「志」を貫くことで身内がどういう影響を受けるかといった問題からも逃げてはいませんでした。
恩地が、テヘランへ、そしてアフリカへ赴任中、息子は黙して語らず娘も不登校に陥ります。そして妻は…。
 
妻子をはじめとする家族は、孔子のいう「義」の精神における「みんなのため」の「みんな」の範疇に含まれるものではなく、あくまで「野望」のための「自分(たち)」に過ぎないのである、との重い提示です。
 
であるなら、人は「何のために働く」のでしょうか。
「社会」のためとか「世」のためなどと気安く口走ることと同様に、それらと引き替えのようにして、「家族」のためにとも軽々しくいえるものではないのだとこの作品は語りかけます。
 
もし、この命題に究極のこたえが与えられるのだとしたら、それは自分の「志」のためということになりましょう。そして、その実現のためには、「自分」を含む「身内」という近しい存在の犠牲や相当の我慢がそれを支えているということを肝に銘じておかねばなりません。
 
「十五」にして「志」を立てた孔子ですら「天命」を知る境地に達したのは「五十」。その年齢を目前にしながら「天命」はおろか「志」すら覚束ない我が身に鮮烈な印象を残す作品にまたしても出逢うことができました。

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